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ヘヴィ・メタルのアイデンティティ 〜ヘヴィ・メタルかくあるべし〜


ヘヴィ・メタルは常に偏見を持たれがちな存在ながら、その割に息の長い音楽である。多少の浮き沈みはあるにせよ、音楽ジャンルとして確立した80年代の初頭から現在に至るまで、脈々とシーンを形成し続けている。それも、現在なお多くのレコード・ショップで専門のコーナーを構えるほどの人気を保っている。

決してポップ・チャートを賑わすようなタイプの音楽ではない。専門誌やラジオの専門番組を除けば、マスメディアで取り上げられることもほとんどない。そして、マイナー・ジャンルであるにもかかわらず、その手のマイナーな音楽が「売れないことの代償」として持っているオシャレで先鋭的なイメージさえほとんど存在しない。こうした様々なハンディキャップを背負いながらも、常に一定のコアなファンによって、安定したセールスが見込めるジャンルとして、レコード会社もヘヴィ・メタル・バンドと契約し続けている。

しかも、ヘヴィ・メタルを支えるコアなファンが、他のジャンルに比べてある程度健全に世代交代しているところも強みである。一般に人間は、年齢を重ねるにしたがって感性が衰えていく。さらに仕事や家庭に時間を取られ、音楽を聴くことと疎遠になっていく。ヘヴィ・メタルのファンとてそれは例外ではない。むしろ、ヘヴィ・メタルはやはり「刺激を求める若者の音楽」であり、一定の年齢になると「卒業」していく傾向が他のジャンルに比べても高いといわれている。実際に統計をとったわけではないが、それはおそらく事実であろう。にもかかわらず、ヘヴィ・メタルは20年の時を経てなお生き残っているのである。

では、何がこれほどまで我々ファンをヘヴィ・メタルに惹きつけているのだろうか。ここではその魅力について考えてみたい。

まず、第一にサウンドがハードであり、刺激的であることが挙げられる。若者にとって刺激的な音楽は常に魅力的である。今や音楽の教科書にも取り上げられ、20世紀を代表するポップ・ミュージック・グループとして評価されているBEATLESも、デビュー当時は頭の固い大人たちには騒音扱いされていた。逆に、だからこそ当時の若者の支持を得たのである。しかし、BEATLESが解散してから生まれた世代の人間にとっては、彼らのサウンドはいたってポップに響き、恐らく当時の若者とは異なる魅力をその音楽に見出している。

然るに、IRON MAIDENのデビュー・アルバムは、発表から20年以上を経過した現在(2004年)もなお、「良識的な人々」の顔をしかめさせるに充分なハードさを有している。その後ハードコア・パンクやインダストリアル、ノイズなど、うるさい音楽は次々に出てきたが、その中に混じってなお、ヘヴィ・メタルは充分に刺激的な存在たりえている。21世紀になってなお、「現役」としてカタルシスを提供できること。このことがヘヴィ・メタルに新しいファンをつかむ原動力を与えていることは間違いない。

とはいえ、ハードでヘヴィであることが魅力の全てであるなら、ヘヴィ・メタルはよりハードでヘヴィなサウンドを持つ後発のスラッシュ・メタルやデス・メタルに駆逐されてしまうはずである。しかし、現実にはそうならなかったのは何故なのか、考えてみよう。

一般的に認知されている特徴とは言いがたいが、ヘヴィ・メタルの忘れてはならない特徴に、メロディアスな歌メロがある。ハードコアやインダストリアル、デス・メタルといった他の「ハードで刺激的な音楽」の多くがメロディを削ぎ落とすことで刺激を追求しているのに対し、ヘヴィ・メタルはメロディという、音楽の基本的な魅力を忘れていない。そのことをしてカタルシス・ミュージックとして中途半端であると非難することはたやすいが、そうしたメロディ面での魅力なくして、ヘヴィ・メタルはこれほど息の長い音楽ジャンルにはなりえなかったであろう。ハードさとメロディの絶妙なマッチング、それこそがヘヴィ・メタル最大の魅力である、という意見には多くヘヴィ・メタル・ファンの賛同が得られるのではないだろうか。

ここで比較の対象として考えてみたいのは、90年代以降台頭してきた新世代パンク・ロック、日本では「メロコア」と呼ばれた音楽ジャンルである。この音楽はハードで速いテンポを持ち、それでいてメロディもちゃんと存在する、上で挙げたヘヴィ・メタルにかなり近いものを持っている音楽である。事実、ヘヴィ・メタルからこの手の音楽に流れたファンというのは筆者の身の回りだけでもかなりの人数が存在するし、もし、メロコアが存在していなければ、ヘヴィ・メタルに取り込めたファンというのも存在していたと考えられるのである。

しかし、そのメロコアの台頭をもってしてもヘヴィ・メタルは死滅しなかった。なぜなら、ヘヴィ・メタルにあってメロコアにはない魅力があったからである。

それはまず、テクニカルな演奏である。ヘヴィ・メタルにはギター・ソロの速弾きに代表される、テクニカル・ミュージックとしての側面がある。ときにそうした要素を、楽曲のバランスを壊す演奏者の自己満足、無用の長物としてあげつらう向きもあるが、高度な演奏技術による表現には、あえて例えるならスポーツや格闘技の妙技を観るのに通じる快楽がある。こうした技術的な要素を追求し、ハード&ヘヴィなカタルシス・ミュージックとしての要素を必要としなくなった人間(楽器を長いことやっている人間に多い)はジャズ/フュージョンなどの音楽に流れる傾向があるが、カタルシスの一環としてテクニカルな部分にも魅力を感じる向きには、メロコアは物足りなかったのだ。

そして、もうひとつはメロディの質と曲構成である。ヘヴィ・メタルのメロディは、基本的にマイナー調である。メロコアにカテゴライズされるバンドの曲にもマイナー調のメロディを持つものは少なくないが、その本質は基本的な部分で異なっている。なぜなら、ヘヴィ・メタルを生んだブリティッシュ・ハード・ロックの土壌にはクラシック音楽からの影響があるためである(DEEP PURPLEのアプローチなどはその典型)。ヘヴィ・メタルとはハード・ロックからブルース・ロック的な黒人音楽の要素を薄め、ヘヴィさを強調したものであるから、必然的に白人音楽(≒クラシック音楽)の要素が強まっており、ヘヴィ・メタルにおけるメロディの多くは、ある種クラシック的な、「美しい」という形容を使うことさえ可能な旋律なのである。

そのため、「正統的」と言われるヘヴィ・メタルのメロディはやや浮世離れした、よく言えば「劇的でドラマティック」悪く言えば「大仰でクサい」ものが多い。実際、そうしたメロディを生かした曲作りをすると必然的に(クラシック音楽がそうであるように)楽曲の構成もドラマティックなものになる。こうした要素はメロコアには全く存在しないものであり、ヘヴィ・メタルをヘヴィ・メタルたらしめる重要な要素になっている。

ただ、実際には、ヘヴィ・メタルのミュージシャンもクラシック音楽よりもむしろ普通のロックやポップな音楽を聴いていることが多いから、必ずしも上で解説したようなクラシック的なメロディを持つヘヴィ・メタルばかりが存在しているわけではない。むしろ80年代、LAメタルの全盛期には「明るくポップなメタル」が主流としてシーンに蔓延していた。

しかし、結局そうしたバンドは、一時的な商業的成功の代償として普通のポップ・アクトとの差別化が図れなくなり、本来彼らの支持基盤であったメタル・ファンからの支持を失った結果、凋落の憂き目を見た。90年代初頭のオルタナティヴ・ブームの荒波を受けた後、そうしたバンドはほぼ死滅し、残ったのはむしろ商業的な要素に乏しい、先述したような、クラシック音楽からの影響を感じさせるヘヴィ・メタルらしいヘヴィ・メタルだった。

むろん、そうしたバンドの成功の規模はポップミュージックとして時代のトレンドになった80年代の「ポップ・メタル」にはるかに及ばないものであったし、その活動はヨーロッパや南米、日本など、そうした音楽に対する需要(感性)が発達したエリアに限られてはいたが、それでも過去の遺物になってしまうよりはるかにマシなはずである。

以上より、
1. ハードでヘヴィな刺激に満ちたカタルシス・ミュージックであり
2. それでいてメロディ、それもクラシカルでドラマティックなものを持ち
3. テクニカルな演奏を聴かせる

この3点こそが、他の音楽からヘヴィ・メタルを区別する、いわばアイデンティティであり、ヘヴィ・メタルの魅力であると言えよう。こうした本質を忘れたバンドは他のジャンルとの競争力を失い、少なくともヘヴィ・メタル・ファンという、上記の様式を守りつづける限り忠実にサポートしてくれる強固な支持基盤を失うことは目に見えている。それでも、さらに大きなフィールドでの成功を求め、あえてこうした要素を放棄して「進化」を図るバンドは後を絶たないのだが…。

そしてまた、上記の3要素をより魅力的な形で提示することができる新たな音楽ジャンルが生まれたとき、ヘヴィ・メタルはその使命を終え、歴史の表舞台から姿を消すに違いない。

余談だが、上記のポイント以外に個人的なヘヴィ・メタルの魅力をひとつ挙げると、「楽曲個々のキャラ立ちがいいこと」というのがある。ヘヴィ・メタルは、他のポップ・ミュージックに比べ、使えるテンポの幅が広い。それこそBPM200を超えるような疾走曲からバラードまで変幻自在で、「疾走曲」「アップ・テンポ」「ミドル・テンポ」「バラード」と、ひとつのアルバムに表情豊かな楽曲をラインナップすることができる。また、曲の長さにしても、ヒット・ポップスのように4分程度の、ラジオ局やテレビの音楽番組にとって都合のいい分数ばかりではなく、10分を超えるような大作なども珍しくない。こうした、曲のパターンの多様さも、飽きずにアルバムを聴く上で意外に侮れない要素になっていると、個人的には思っている。

いずれにせよ、ヘヴィ・メタル最高!!ってことで(笑)。


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