Home | Information | Review | Archives | Column | Links | BLOG

ホームコラム>NWOBHM特集


NWOBHM〜すべてはここから始まった〜


NWOBHM。HR/HMに入門した人の多くが最初に出会う難読語である。これは"New Wave Of British Heavy Metal"(英国ヘヴィ・メタルの新しい波)のイニシャル表記であって、基本的には書き言葉で、口頭による会話の中で「えぬだぶりゅおーびーえっちえむ」と発音したりはしないので注意。

また、あくまでムーヴメント、つまり「出来事」の名称であって、音楽のジャンル名ではないので、その点もまた注意されたし。

そして、そのNWOBHMは、一般的にHR/HM史上における最重要ムーヴメントとして語られるし、実際にそうであろうと私も思う。

このムーヴメントから出てきて世界的な成功を収めたのは(どこからを成功とみなすかにもよるが)IRON MAIDENとDEF LEPPARDのみで、そういう意味では、L.A.メタルやスラッシュ・メタルといった、その後に発生し、スター・バンドを数多く生み出したムーヴメントに比べると商業的な実績はさほどでもない。

しかし、それでもなおこのムーヴメントがHR/HM史上において最も大きな意味を持つムーヴメントであると断言できる理由は、やや拡散し、人気も低迷していたハード・ロックという音楽から、「ヘヴィ・メタル」といういかがわしくも力強い、キャッチーな響きを持つジャンルを創造したことで、HR/HMというジャンルの個性・アイデンティティを明確なものにし、結果としてHR/HMというジャンルをある意味で通常の「ポップ・ミュージックの一種としてのロック」から独立した「特別な存在」に至らしめた所にある。

なお、余談になるが、こういうことを言うとしばしば「ヘヴィ・メタル」というワードが最初に使われたのは映画『イージー・ライダー』の主題歌として全米2位の大ヒットとなったSTEPPEN WOLFのデビュー・アルバム(1968年)収録の名曲「Born To Be Wild」の歌詞中に「Heavy Metal Thunder」というフレーズが登場したときだ、とか、BLUE OYSTER CULTが70年代前半の時点で自らの音楽を形容するにあたって「Heavy Metal」という言葉を用いていた、などというマニアックな知識を持ち出してくる手合いがいる。

しかし、STEPPEN WOLFは広義のハード・ロックに分類できるバンドではあるものの「Born To Be Wild」に登場するそのワードは単にバイクのことを表現しているだけだし、BLUE OYSTER CULTのサウンドも広義のハード・ロックに属するとはいえ、(少なくとも彼らがHeavy Metalを標榜し始めた時点では)現在一般的なHR/HMファンが「ヘヴィ・メタル」という言葉から連想するサウンドとは距離がある。

同様に、ギターにおける「ライトハンド奏法」(現在では一般にタッピングと総称される)のパイオニアとされているのはエディ・ヴァン・ヘイレン(VAN HALEN)だが、GENESISのスティーヴ・ハケットなど、彼以前に同様の奏法を実践していた人間は他にも存在する。しかし、それを効果的に使用し、世の中に広めたのがエディであるため、ライトハンド奏法の創始者といえばエディ・ヴァン・ヘイレンというのが世の中の共通認識となっている。

つまり、現在の我々が「ヘヴィ・メタル」としてイメージするサウンドを作り上げ、世の中に広めて共通認識を作ったのがNWOBHMのバンドたちであるため、NWOBHMが「ヘヴィ・メタル」というジャンルを生んだ、という表現は決して間違いではないのである。

ではNWOBHMとはどんなムーヴメントか? というと、76年ごろにイギリスで始まったパンク/ニューウェイヴのブームによって、「オールド・ウェイヴな(時代遅れの)ロック」として人気が低迷していたハード・ロックが、新しい世代のバンド群によって「ヘヴィ・メタル」という新しい形で蘇った、という事象のことを指している。

パンク/ニューウェイヴ全盛の時期でも、その手のサウンドに流されず、ハード・ロックを志向する若いバンドは存在していた。しかし、当時イギリスの大物ハード・ロック・バンドの多くがさらなる成功を求めてアメリカに渡っていることが多かったこともあり、イギリスでハード・ロックがメディアに取り上げられる機会はほぼ皆無、必然的に新世代のハード・ロック・バンドたちはアンダーグラウンドな活動を強いられることになった。

そうした無名の新世代ハード・ロック・バンドたちに注目し、そのサウンドを世に広める機会を提供したのがニール・ケイというDJで、1979年の夏にそういうバンド群によるヘヴィ・メタル・ディスコ・イベント「Heavy Metal Nite」が『Bandwagon』というパブのようなスペースで催された。そのイベントには長髪のバイカーたちが「ヘヴィ・メタル」と銘打たれた新世代ハード・ロックに合わせてヘッドバンギングやエアギター(当時はエアギターという呼称はなかったが)に興じていたという。

この局地的で、マニアックな若者たちの集いでしかなかった動きを、イギリス全土に広めたのが当時『NME』、『Melody Maker』に続く三番手の音楽誌であった『Sounds』の副編集長で、後に(『Sounds』の増刊として)『Kerrang!』を立ち上げるジェフ・バートンである。

ジェフ・バートンは『Sounds』誌上で『Bandwagon』に登場するバンドのBest10を発表するコラムを執筆しており、そのコラムによって注目されたIRON MAIDEN、SAMSON、ANGEL WITCHによってツアーが行なわれたことが、NWOBHMというムーヴメントがムーヴメントとして隆盛するきっかけになった。

NWOBHMというネーミングの名付け親もジェフ・バートンである。新世代のハード・ロック・バンドたちがプレイするサウンドに対し、古臭いイメージが付いていた「ハード・ロック」の旧来のイメージを刷新するために「ヘヴィ・メタル」という呼称を用い、「オールド・ウェイヴ」扱いされていたことに対するアンチテーゼとして、この動きを「ニューウェイヴ」と形容したのである。

NWOBHMのバンド群で最も早くデビュー・アルバムを発表していたのは、1979年にフランスのレーベル「Carrere」からデビューしたSAXONだったが、この時点ではまだNWOBHMの動きは本格化しておらず、彼らが成功を得るのはセカンド・アルバムの発表を待つことになる(そもそも彼らのファースト・アルバムはまださほどメタリックではなく、NWOBHM的な印象はさほど強くない)。

そういう意味では、NWOBHMの幕開けを告げるアルバム・リリースといえるのは80年の4月にリリースされたIRON MAIDENのデビュー・アルバムだろう。同作が全英4位に輝き、NWOBHMは本格的に日の目を浴びることとなる(その前月にリリースされたDEF LEPPARDのデビュー作も全英15位にランクされている)。

ただ、IRON MAIDENやDEF LEPPARDは自らをNWOBHMの一員としてアピールしなかったし、実際彼らの成功は例外的かつ、ムーヴメントに依存しないものだったという意味で、彼らがNWOBHMというムーヴメントの中核だったというのは必ずしも正確ではない。

NWOBHMというのはHR/HMを重視しない人々によって語られる「ロックの歴史」の中では無視されることも少なくないアンダーグラウンドのムーヴメントであり、実際には1980年代前半までに乱立したインディーズ・レーベルや自費出版による流通で発表を行った多数のバンドがNWOBHMの中核であった。マニアの間では1980年代前半までに7インチ・レコードを発表したバンドだけがNWOBHMと呼ばれるとする極端な意見さえ存在する。

そんなマニアックなムーヴメントだったNWOBHMであるが、イギリスにおいてハード・ロック的なサウンドの人気が復活する原動力となったことは間違いない。ただ、その「ハード・ロックの復興」によって商業的な成功を得たのは、NWOBHMの中核となった新世代の若いバンドではなく、むしろJUDAS PRIESTやBLACK SABBATH、RAINBOWやWHITESNAKEといった60年代、70年代初頭から活動していたベテラン・ミュージシャンによるハード・ロック・バンドであった。そしてそういったベテランの活躍も含む、英国ハード・ロック/ヘヴィ・メタルの活況全体をして広義のNWOBHMとする見解もある。

そうしたイギリスにおけるHR/HMの活況を受け、1980年にはHR/HMバンドのみによるロック・フェスティバル『モンスターズ・オブ・ロック』(その後1996年まで毎年開催)が開催され、当時既に10年以上の伝統があった『レディング・フェスティバル』も80年〜82年はHR/HMバンド中心のラインナップとなるなど、HR/HMの活況を印象付けた。

いずれにせよNWOBHMは狭義の意味で捉えても、広義のNWOBHM、ひいては広義のNWOBHMの影響によって81年あたりから顕著になる、イギリス以外の地域におけるヘヴィ・メタルの勃興の火種になったことは間違いなく、それなくしてヘヴィ・メタルという音楽が生まれなかったどころか、ハード・ロックさえ80年代に生き残ることができなかったかもしれない、という意味においても、冒頭に述べた通りHR/HM史上における最重要ムーヴメントということができる。

NWOBHMというムーヴメントは短命だったと言われる。79年に始まり、80年から81年にピークを迎えたその動きは、ようやく国際的に認知を得るようになった82年には既に下降線を辿っており、83年にはほぼ終結していたというから、実質3年ほどの期間である。確かに長くはないが、それ以前にイギリスで流行したグラム・ロックやパンク・ロックのムーヴメントもそんなものだったし、5年続いたムーヴメントなどロック史上にほとんど見当たらないので、NWOBHMが格別短かったというわけではない。

なお、蛇足ではあるがNWOBHMとパンクの関係性について触れておく。先述の通り、NWOBHMはパンク/ニューウェイヴのブームに対するアンチテーゼとして起こったムーヴメントというのが「定説」であり、これが一面の真実であることは間違いない。

一方で、「NWOBHMは、ハード・ロックがパンクの影響を受けて起きたムーヴメントである」という説があり、これも割と広く知られた言説である。IRON MAIDENの初代ヴォーカリストだったポール・ディアノがパンクス上がりで短髪だった、という事実や、広義のNWOBHMの一部として語られるMOTORHEADがパンクスからも支持されていたことなどがその根拠となっているようである。

とはいえ「影響を受けた」というのも曖昧な表現で、パンクに対する「反発」という反応として起こった、という意味で解釈するなら「定説」の通りである。また、「音楽的な影響を受けた」という意味で解釈するなら、(ラフで荒っぽいという意味で)そういうバンドもいたし、一方パンク風味は皆無で、ほぼ古式ゆかしいハード・ロックそのままの音を出していたバンドもいたので「当てはまるバンドもいれば、そうでないバンドもいた」という至極当たり前の話になってしまう。

いずれにせよNWOBHMのバンド群にSEX PISTOLSやTHE CLASHといった典型的なパンク・ロック・バンドに直接的な影響を受けたり、彼らをリスペクトしたりというバンドは多くなかったと思われるし、実際の所イギリスではパンクスとメタル・ヘッズは仲が悪く、彼らによる暴力沙汰も珍しくなかったというから、やはりNWOBHMがハード・ロックと同じような意味合いでパンク・ロックの流れを汲んでいる、というのは少なくとも正しくないだろう。

ただ、音楽的に高度化、あるいは拡散の方向に向かっていたハード・ロックに対し、その原初的で本能的な攻撃性、衝動、カタルシスという「原点」に回帰し、商業主義に安易に迎合せず「やりたいことをやる」というインディー精神を打ち出していたという意味では、パンク/ニューウェイヴと共通する精神性というか気分を持っていたこともまた事実である。

そう考えれば、本質的にはロックの持っていた原初的な衝動とラディカルな実験性への揺り戻しであり、いわば「ロック・リバイバル」だったパンク/ニューウェイヴ・ムーヴメントと同一線上にある動きだったという見方もできなくはない。そういう意味においては、言葉の生みの親であるジェフ・バートンの意図とは異なる意味で、まさしく「ニューウェイヴ」オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタルだったと言えるのである。

 

NWOBHMを代表するアルバム

NWOBHMとはスラッシュ・メタルやデス・メタルと違って特定の音楽的フォームを指す用語ではないが、とりあえずここに挙げたアルバムを聴けば、NWOBHMというもののノリというか雰囲気はなんとなくつかめるのではないかと思います。


IRON MAIDEN / IRON MAIDEN (1980)

なんだかんだ言ってもNWOBHMの顔というべき強烈なジャケット。荒削りながら、その後NWOBHMという枠にはとらわれない、ヘヴィ・メタルというジャンルの代表格へと飛躍していくポテンシャルはこの時点で充分に見て取ることができる。


SAXON / WHEELS OF STEEL (1980)

ブギー/ロックン・ロールをベースに持ちつつも、そのリフの押しの強さと、「バイカーズ・バンド」と呼ばれたのも納得のスピード感は、ヘヴィ・メタルと形容するに相応しい。一時期アメリカでの成功を狙ってポップ路線に走ったが失敗。現在は再び原点に立ち返った男臭いメタル・サウンドで欧州を中心に人気を博している。

ANGEL WITCH / ANGEL WITCH (1980)

バンドの持つムード、描き出す世界観など、個人的には最もNWOBHMの典型的なイメージを体現していると思えるバンドのデビュー作。極めて英国的かつ正統的なメタル・サウンドで、本作の充実度はIRON MAIDENを別格とするとシーン屈指と言える。マネージメントが弱くブレイクには至らなかったのが残念。

DIAMOND HEAD / LIGHTNING TO THE NATIONS (1980)

うわずり気味のクセのあるヴォーカル、アグレッシヴで展開の多いリフ・ワークで独特のメタリック・サウンドを構築する彼らのデビュー作。必ずしも当時成功を収めたバンドではなかったが、METALLICAが彼らの楽曲を多数取り上げた(実際初期の彼らはこのバンドからの影響が顕著である)ことで再評価された。

SAMSON / HEAD ON (1980) 

ポール・サムソン(G)を中心に結成されたバンドの、ブルース・ブルースことブルース・ディッキンソンを迎えて発表されたセカンド・アルバム。ステージでは檻の中でプレイしていた覆面ドラマー、サンダースティックがデビュー前のIRON MAIDENに在籍していた経歴があり、当時制作に関わった「Ides Of March」が「Thunderburst」というタイトルで収められている。

TYGERS OF PANG TANG / SPELLBOUND (1981)

ジョナサン・デヴァリル(Vo)とジョン・サイクス(G)を迎えて制作されたセカンド・アルバム。攻撃的なギター・ワークとジョナサンの湿った歌声によるラフだがキャッチーなメロディのマッチングが良い。ジョン・サイクスはNWOBHMが生んだ唯一のギター・ヒーローと言えるだろう。

 

NWOBHMの悪魔的なイメージを代表するアルバム

LED ZEPPELINのジミー・ペイジが黒魔術に傾倒していたというのは当時有名な話だったし、BLACK SABBATHなんかはモロにそういうイメージを利用していたが、ハード・ロックというジャンル全体のイメージが悪魔的だったわけではない。しかし、NWOBHMのバンド群には、その攻撃的なイメージの象徴として悪魔的なものをアートワークやバンド名、歌詞テーマに使用することが多く、結果的に「ヘヴィ・メタル=悪魔的な音楽」というイメージが広がっていった。


ANGEL WITCH / ANGEL WITCH (1980)

ちょっと上で紹介したばかりだが、やはりこのテーマを語る時、悪魔や黒魔術を歌詞のモチーフに多用したこのバンドのこの作品は外せない。要するに本作以上、あるいは並び称される作品を彼らが生み出していないということなのだが…。

DEMON / NIGHT OF THE DEMON (1981)

バンド名からしていかにもで、ライヴではヴォーカリストが棺から登場し、ゾンビや怪物めいた衣装に身を包むなど、聖飢魔IIを彷彿させるオカルティックな演出をしていたが、音楽性自体はかなり正統的なブリティッシュ・ハード・ロックで、意外なほどにメロディアスである。

SATAN / CAUGHT IN THE ACT (1983)

マニアには82年の「Kiss Of Death」の7インチやオムニバス参加曲で評価されたバンドだが、元BLITZKRIGのブライアン・ロス(Vo)を迎えた本作は、後にBLIND GUARDIANにカヴァーされたのも納得の正統派パワー・メタルに通じるサウンドを展開。ギターのスティーヴ・ラムゼイは後にSKYCLADを結成。

GRIM REAPER / SEE YOU IN HELL (1983) 

日本では後にLIONSHEARTで有名になるスティーヴ・グリメット(Vo)が在籍していたバンドのデビュー作。なぜかタイトル曲のPVがアメリカのMTVでヘビーローテーションされ、ビルボードTOP100にランクイン、20万枚を売り上げるという快挙を達成。NWOBHM最後の大物といえる。

VENOM / BLACK METAL (1982)

やはりこのテーマではこのバンドが極めつけか。何しろメンバーの芸名がクロノス、マンタス、アバドンである。当時の評論家には酷評されたこの過剰な悪魔性、エクストリーム・メタルの元祖というべき極悪きわまりないノイジーなサウンドは半ばジョークだったのかもしれないが、ピュアなメタル・キッズに多大なインパクトを与えた。

IRON MAIDEN / KILLERS (1981)

彼らは全く悪魔的なバンドなどではないが、何せこのアートワークだけに善よりは悪をイメージさせていたであろうことは想像に難くない。SAXONを2枚取り上げて彼らが1枚と言うのもアレなので取り上げてみました。言うまでもなく名盤で、特にエクストリーム・メタル系のミュージシャンがフェイバリットに上げることが多い一枚。

 

NWOBHMの男臭いイメージを代表するアルバム

元々ハード・ロックもどちらかというと「男のロック」的なイメージが強かったわけだが、ヘヴィ・メタルに至ってはもはや女性に毛嫌いされるレベルでむさ苦しくなった。そんな硬派な姿勢がモテない男たちに(?)支持されたため、その後に登場したヘア・メタルのように「女にモテるメタル」は硬派で心の狭いメタル・ファンに非難・毛嫌いされる傾向がある。


SAXON / DENIM AND LETHER (1981)

デニムとレザー、つまりメタル・バンドのワッペンだらけのGジャンとレザーパンツという当時のバイカーのユニフォームであり、当時のメタル・ヘッズの典型的な服装をタイトルに冠した本作で、彼らは「メタル・キッズの兄貴分」的なイメージを確立した。しかし意外なことにバイクに乗れるメンバーはほとんどいなかったという。


RAVEN / ROCK UNTIL YOU DROP (1981)

ジョンとマークのギャラガー兄弟を中心に結成されたトリオ・バンドのセカンド・アルバム。ひたすらラウドでハイエナジーな、ドやかましいそのサウンドは後のスラッシュ・メタルに強い影響を与えたと言われている。より速さにこだわったセカンド「WIPED OUT」の方が若い人にはインパクトが強いかも。

TANK / FILTH HOUNDS OF HADES (1982)

パンク畑出身のアルジー・ワード(Vo / B)率いるバンドのデビュー作。MOTORHEADのマネージャーに見いだされ、MOTORHEADのエディ・クラーク(G)がプロデュースを手掛け、「MOTORHEADの弟分」的な扱いだった。微かに男臭い哀愁を帯びて爆走するサウンドはひたすらパワフル。よりメタル色を増した4th「HONOUR AND BLOOD」も名盤。


GIRLSCHOOL / DEMOLITION (1980)

NWOBHM期唯一のガールズ・バンドによるデビュー・アルバム。パンク色もあるストレートでアグレッシヴなロックン・ロール・サウンドによって「MOTORHEADの妹分」的な評価を得た。メンバー全員女性で、歌声やコーラスそれ相応のかわいらしささもあるが、基本的な音楽性はいたって男性的で、逆説的にNWOBHMが「男の世界」であることを示している。

 

NWOBHMの多様性を代表するアルバム

NWOBHMは悪魔的で男臭いバンドが大勢を占めていたわけだが、必ずしもそういうバンドしかいなかったわけではない。HR/HMという音楽は元来それなりの多様性を備えたジャンルであり、NWOBHMのバンド群もまたその例外ではない。


DEF LAPPARD / ON THROUGH THE NIGHT (1980)
当時平均年齢が20歳そこそこ(Drのリック・アレンは16歳だった)だった彼らのデビュー・アルバム。しかしその若さにもかかわらず、コーラスのキャッチーさなど、既に他のNWOBHMバンドとは異なるポップ・センスが光る。デビュー・シングルの曲名が「Hello America」というのも、彼らの志向を表している。

GIRL / SHEER GREED (1980)
後に渡米しL.A.GUNSを結成するフィリップ・ルイス(Vo)と、DEF LEPPARDに加入するフィル・コリン(G)をはじめ、グッド・ルッキンだったために日本ではデビュー前にファンクラブが結成されたという逸話がある。メタリックなエッジを備えつつもグラムっぽいキャッチーさもあるそのサウンドは典型的なNWOBHMとは一線を画している。

PRAYING MANTIS / TIME TELLS NO LIES (1981)

ティノとクリスのトロイ兄弟を中心に結成されたバンドの、「ARISTA」からのデビュー作。美しいツイン・リードの絡みと、牧歌的とさえいえるほどの叙情的なコーラス・ワークをフィーチュアしたキャッチーで透明感のあるサウンドは、NWOBHMの中でも最も音楽的だったが、メタルとしては軟弱に響いたためか、当時はあまり評価されなかった。

WHITE SPIRIT / WHITE SPIRIT (1980)

現IRON MAIDENのヤニック・ガーズ(G)が在籍していたことで知られるバンドの、『MCA』からのデビュー・アルバム。キーボードを多用し、DEEP PURPLEやURIAH HEEPを彷彿させるオールド・ウェイヴなハード・ロックの遺伝子を受け継ぐサウンドを展開。ヤニックは「リッチーのそっくりさん」扱いだった。

 

NWOBHMのマニア性を代表するアルバム

NWOBHMは、インディーズ・レーベルや自費出版による7インチ・シングルや、オムニバスへの参加のみで消えていったバンドも多かったのが特徴。しかし、そういうマイナーなバンドの楽曲に光るものがあったりして、マニア心をくすぐるのがまたNWOBHMの魅力であり、METALLICAのラーズ・ウルリッヒなどは完全にそれにハマってしまったクチといえるだろう。


DARK STAR / DARK STAR (1981) 

本文でも触れたが、NWOBHMの真髄は7インチ・シングルで、1曲だけヘヴィ・メタル・ディスコで話題になって、消えていったバンドも多い。本作収録の「Lady Of Mars」とか、CHEVYの「Sky Bird」やHOLOCAUSTの「Heavy Metal Maniac」なんかはそういう「NWOBHMの真髄」というべき曲。


GASKIN / THE END OF THE WORLD (1981)

叙情的なメロディにドラマティックな展開を備えたヘヴィ・メタル・サウンドは、『BURRN!』の広瀬編集長を筆頭に多くのマニアを唸らせたが、次作で急激に失速。いい曲を継続的に量産できない、アルバムのクオリティを複数枚に渡って維持できないという、音楽的な体力に乏しかったNWOBHMバンドの特徴(?)をある意味体現してしまった存在といえよう。

V.A. / METAL FOR MUTHAS (1980)

NWOBHMの立役者の一人であるDJ、ニール・ケイが監修したオムニバス・アルバム。ここに収められているのはIRON MAIDENやANGEL WITCH、PRAYING MANTISやSAMSONなど、今となっては比較的メジャーなバンドが多い(そしてなぜかNWOBHMとは関係ないバンドも…)が、アルバムをリリースせずに解散したようなマイナーなバンドの曲にこそ魅力的なものが多いことが、NWOBHM時代のオムニバスの魅力である。

V.A. / NWOBHM '79 REVISITED (1990)

リリース当時既にNWOBHMの大家として知られていたMETALLICAのラーズ・ウルリッヒと、NWOBHMの仕掛け人であるジェフ・バートンが選曲したNWOBHMのオムニバス。メイデンのような大物から、かなりマイナーなバンドまで29曲網羅している。DIAMOND HEADだけ2曲収録しているのがラーズのこだわりか。

 

NWOBHMに乗って売れたベテラン勢のアルバム

NWOBHMによってイギリスにおけるHR/HM人気には追い風が吹いたが、英国のメジャー・レーベルは概して音楽的に荒削りなNWOBHMのバンドとの契約にはあまり前向きではなく、むしろこの機に乗じて既に契約していたキャリアのあるバンドの売り出しに力を入れた。結果として商業的な意味でNWOBHMの恩恵を受けたのは、NWOBHM以前から実績のあるバンドばかりだった。この時代から既にベテラン偏重で若いバンドがプッシュされない、という問題は発生していたのである(苦笑)。


JUDAS PRIEST / BRITSH STEEL (1980)

NWOBHMが盛り上がるタイミングでこういうメタリックな作品を送り込んでくるあたり、彼らはなかなか戦略的である。実際、彼らのサウンドはあらゆるハード・ロック・バンドの中で最も早くメタリックであることを指向し、おそらくNWOBHMで出てきたバンドの多くに影響を与えていたわけだが。全英4位。

MOTORHEAD / ACE OF SPADES (1980) 

レミーは元々HR/HM畑の人ではないが、このバンドが鳴らしているサウンドの持つエネルギーはNWOBHM世代をインスパイアして然るべきインパクトだった。基本的には「やかましいロックン・ロール」だった彼らが、本作でハードさ、ソリッドさを一気に増したのは、やはり時代の空気を感じ取ったのだろうか。全英4位。

BLACK SABBATH / HEAVEN AND HELL (1980)

オジー・オズボーンの後任に元RAINBOWのロニー・ジェイムズ・ディオを迎えた初のアルバム。ソリッドで様式美色の強いサウンドを打ち出し、当時やや低迷していた人気を回復させることに成功した。全英9位。

OZZY OSBOURNE / BLIZZARD OF OZZ (1980)

BLACK SABBATHを半ばクビに近い形で脱退したオジー・オズボーンのソロ・プロジェクト。元QUIET RIOTのアメリカ人ギタリスト、ランディ・ローズを抜擢して生み出したそのサウンドは、イギリスのメタルからアメリカのメタルへの橋渡し的な意味合いを感じさせる。全英7位。

M.S.G / M.S.G. (1980)

元UFOのドイツ人ギタリスト、マイケル・シェンカーを中心としたバンド(プロジェクト?)のファースト・アルバム。ソリッドかつフックに富んだ楽曲と、邦題通り神がかりなギター・ワークによって全英8位という成功を収め、ギター・ヒーローとしての地位を確固たるものにした。

WHITESNAKE / READY AN' WILLING (1980)

元DEEP PUEPLEのデイヴィッド・カヴァデール(Vo)率いる古式ゆかしきブルーズ・ベースのハード・ロックだが、NWOBHMに端を発するHR/HM人気の上昇によって「Fool For Your Loving」が全英13位とスマッシュ・ヒットし、アルバムも全英6位まで上昇した。

RAINBOW / DIFFICULT TO CURE (1981)

アメリカ人シンガー、ジョー・リン・ターナーを迎え、前作から顕著になったポップ志向が推し進められた作風。外部ソングライターであるラス・バラード作の「I Surrender」が全英シングル・チャートの3位を記録し、アルバムも全英3位にランクされた。


GARY MOORE / CORIDORS OF POWER (1982)

70年代にはHR/HMの枠にとどまらない、ブルーズやプログレ/フュージョン的なサウンドを展開していたが、本作では完全にHR/HMと呼べるサウンドを展開し、成功を収めた。本作に先立って制作された(が、契約上の問題で本作の後に発売された)「DIRTY FINGERS」の時点で、80年代のHR/HM路線は決定していた。

 

NWOBHM周辺のアルバム

NWOBHMは、それまでスポットライトが当たらなかった英国外のバンドが英国で注目されるきっかけを作ることにも貢献した。そして同時に英国外のエリアに「ヘヴィ・メタル」の火を点ける役割も果たした。そしてスラッシュ・メタルに始まる新しいエクストリーム・ミュージックの源流にもなっている。だからこそ(ことメタルに関しては)、「NWOBHMからすべてが始まった」と言えるのである。


RIOT / FIRE DOWN UNDER (1981)

第一回『モンスターズ・オブ・ロック』に出演を果たした後、充実の本作を発表。中心人物であるマーク・リアリ(G)の主観的には、このタイミングがRIOTのピークだったのではないか。その後メンバー・チェンジ等のトラブルでサクセス・ロードを歩みそこなった不運のバンドである。

ANVIL / METAL ON METAL (1982)

彼らはカナダのバンドだが、成功のきっかけをつかんだのは、NWOBHMに沸くイギリスだった。当地では名門クラブ「マーキー」2デイズがソールド・アウトを記録し、82年には第3回『モンスターズ・オブ・ロック』にも出演している。「元祖パワー・メタル」などと評されるのも納得のピュア・メタル・アルバム。


MOTLEY CRUE / TOO FAST FOR LOVE (1982)

NWOBHMによって盛り上がったHR/HMの熱気は、大西洋を渡り、アメリカにも届いた。そしてアメリカにおける新世代HR/HMが登場したわけだが、その代表格はやはり彼らだろう。本作の冒頭を飾る「Live Wire」のソリッドなリフと性急さは、まさしくメタルである。

ACCEPT / BREAKER (1982)

彼ら自身は70年代から活動し、NWOBHMのバンド群の大半よりもキャリアが長いが、このタイミングでこのようにメタリックかつ攻撃的なサウンドを展開した作品を発表したことはNWOBHMに呼応したものとみなされたし、実際そうだったのだろう。そしてドイツでは彼らに続く「ヘヴィ・メタル・バンド」が次々と登場し、イギリスを超える「メタル大国」になっていく。

LOUDNESS / THE BIRTHDAY EVE (1981)

メンバーがNWOBHMのバンドをどれだけ聴いていたかというと、当時はほとんど聴いていなかったと思われるが、このタイミングで日本のヘヴィ・メタルが誕生したというのは偶然にしては出来過ぎている。きっとこの時期地球規模(先進国限定ながら)でHR/HMの盛り上がりという大きな流れが生まれていたということなのだろう。

MERCYFUL FATE / MELISSA (1983)

NWOBHMにインスパイアされたバンドの北欧代表といえるだろう。爬虫類的な歌声を持つ鬼才キング・ダイアモンド(Vo)を中心に奏でられるオカルティックかつドラマティックなリフ主導のメタル・サウンドは、ラーズ・ウルリッヒ(METALLICA)のようなNWOBHMマニアのハートを鷲掴みにする麻薬的な求心力がある。

METALLCA / KILL EM ALL (1983)

NWOBHMに直接影響を受けて誕生した音楽というのはスラッシュ/パワー・メタルくらいのもので、その幅はきわめて限定的であった。しかし、その限られた中からMETALLICAというモンスター・バンドが生まれたというのは奇跡的である。本作で聴かれるリフ・ワークはまさにNWOBHM直系といえよう。


<Column Indexへ
▲このページのトップへ
Homeへ


Copyright (C) 2004- METALGATE JAPAN All Rights Reserved.