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ホームアーカイヴス>HR/HMの歴史


1990〜1992

この時期は、80年代をリードしたHR/HM勢の下降線と、90年代をリードすることになるオルタナティヴ・ロック勢の上昇線がちょうどクロスする時期である。バブルの残り香がまだ漂っていた90年にはまだNELSONのような甘ったるいサウンドが幅を利かせていたし、92年になっても、アメリカン・ミュージック・アワードの新人賞部門は、結果的に90年代の音楽シーンの革命者となったNIRVANAを押さえてFIREHOUSEが受賞するといった状況だった。

しかし、この時期の全世界的な不況と社会的な不安は、徐々に、しかし確実に大衆の音楽の嗜好を変えていった。80年代にもてはやされた華やかできらびやかなサウンド、甘ったるいラヴ・ソングや能天気なパーティ・ソングは、リアリティに欠けるものとして敬遠されるようになる。代わって生々しい音を鳴らし、暗い現実を歌うことが「クールなこと」であるとしてもてはやされるようになっていった。この時期、日本のHR/HMファンを喜ばせたEXTREMEの「More Than Words」やMR.BIGの「To Be With You」の全米No.1ヒットは、その「生々しい音」志向を端的に表していたアメリカのアンプラグド・ブームに乗ったものに過ぎなかったのである。

そして、革命は起こった。91年の時点では、一介の新進気鋭の要注目バンド、くらいの認識だったNIRVANAは、翌92年にかけ、全世界的な「現象」となった。同時期にデビューしたPEARL JAMの「TEN」もじわじわとセールスを伸ばし、結果的に1000万枚を超えるメガ・ヒットに。俗にいうオルタナティヴ/グランジブームの到来である。彼らの歌う暗い現実、ヘヴィなサウンド、それこそが当時の世情を反映した、リアルな音とされた。その点、METALLICAは時代に敏感だった。彼らがこの時期に発表した「METALLICA」、通称ブラック・アルバムは、まさに「ヘヴィさ」に重点をおいたアルバムで、見事に時代の動きにシンクロしていた。このアルバムにおける転身によって、彼らは90年代のメタルの王者として君臨する基盤を確固たるものにしたのである。そして、ふと気付くと80年代のイメージのまま、きらびやかで華やかなポップさを打ち出していたバンドは、アメリカでは見向きもされなくなっていた。

ちなみに、この時期アンダーグラウンドで密かに隆盛を極めていたのはスラッシュ・メタルよりさらに過激な、「デス・メタル」と呼ばれる、猟奇的なまでに禍々しい音楽であった。スラッシュ・メタルと異なり、あまりに非人間的なこの音楽がそのままメジャー・シーンに顔を出してくることはなかったが、「デス声」と呼ばれる喉を押しつぶすような唱法や、「ブラスト・ビート」と呼ばれる超速のドラミングはひとつの表現手段として、後々まで影響力を持つことになる。一方、この時期にはアンダーグラウンドのトレンドであったデス・メタルに対するアンチテーゼとして、「ドゥーム・メタル」と呼ばれるサウンドが誕生し、他方、ノルウェーの奥地で本気の悪魔崇拝を背景とした、「ブラック・メタル」と呼ばれるジャンルのシーンが形成されていた。しかし、あくまでもこれらは、当時かなりのマニアであっても知る人の少ない、本当にアンダーグラウンドの最深部における動きであった。


◆参考作品

NIRVANA

NEVERMIND
90年代の音楽シーンに革命を起こし、方向性を決定付けた名作アルバム。

PEARL JAM

TEN
NIRVANAと並ぶ、当時の若者の心の代弁者。グランジを代表するアルバムのひとつ。

ALICE IN CHAINS

DIRT
当時のアメリカがいかに病んでいたかを思い知らされるヘヴィ・サウンド。中毒性あり。

METALLICA

METALLICA
彼らを90年代ヘヴィ・メタルの王座へと導いた名盤。

PANTERA

VULGAR DISPLAY OF POWER
90年代のヘヴィ・メタルのトレンドを築きあげた超強力なヘヴィ・サウンド。

MR.BIG

LEAN INTO IT
日本では未だにこういうテクニカルでキャッチーなハード・ロックが受けていた。


1993〜1996

この時期は、HR/HMバンドにとってはまさに逆風の時代、氷河期、あるいは暗黒時代といってもいい状況であった。HR/HMバンドは軒並みメジャー・レーベルとの契約を切られ、解散するか、インディーズでの細々とした活動を強いられることになった。この時期変わらぬ存在感を保ち続けていたのは、見事に時代を読みきったMETALLICAと、既に時代を超越した存在にまで上りつめていたAEROSMITHくらいだったと言っても過言ではない。BON JOVIやDEF LEPPARDといった、かつて頂点を極めたバンドでさえ(だからこそ?)セールス的に大きく落ち込み、苦戦を強いられていたのである。時流に迎合し、グランジやオルタナティヴの要素を取り入れ、ダークでヘヴィなサウンドに変貌したバンドも数多かったが、METALLICAと異なり、完全に流行を後追いした感のあったその多くは従来のファンを失うだけの結果に終わった。こうして実力やセンスに欠ける、HR/HMバブルに乗って登場しただけのバンド群はこの時期にほぼ一掃された。

この時期、世界的に唯一80年代型のHR/HMが盛んだったのがここ日本である。アメリカでは一発屋に終わってしまったMR.BIGが何度も日本武道館で公演を行ない、FAIR WARNINGなどという本国でさえ誰も知らないバンドのアルバムが10万枚以上、イングヴェイ・マルムスティーンやHELLOWEENのアルバムが20万枚、VAN HALENのアルバムは50万枚、BON JOVIのベスト・アルバムに至ってはなんと100万枚を売り上げたのである。かつての「ジャーマン・メタル・ブーム」以来、インディーズのメタル・バンドに力を入れてきたビクターや、テイチクの「METAL MANIA」、そして今はなきゼロ・コーポレーション(東芝EMIが配給していたレーベル)といったレーベルが、本国でレコード契約を失ったHR/HMバンドや、ヨーロッパのマニアックなバンドを日本に紹介し続け、それによってどうにか活動できていたバンドも多かった。HR/HMバンドにとって一番つらい時期を支えたことを日本のファンは誇るべきだろう。といっても、それは世界的な流行に対する情報感度の鈍さを示すものに過ぎなかったのかもしれないが…。

日本の状況はさておき、この時期世界的にもてはやされていたハード/ヘヴィな音楽は、従来のHR/HMとは異なる文脈に存在する、パンク/ハードコア的なサウンド、ヒップ・ホップの影響を取り入れたもの、インダストリアル的な味付けを施したものが中心であり、己の内的な葛藤、トラウマ、絶望、憂鬱さ、そういったテーマを歌うバンドが「リアル」であるとされ、トレンドとなっていた。ハイ・トーンのシャウトであるとか、延々と続く速弾きのギター・ソロなどは時代錯誤なものとして冷笑の対象となった。日本でこうした音楽をフォローしていたのはBURRN!誌ではなくむしろ「ROCKIN' ON」や「CROSSBEAT」といったもっと広義のロック雑誌であり、支持層も従来のHR/HMファンとは異なっていた。この時期から、それまで数十年にわたって、基本的に英米の音楽シーンの流行を(多少のタイムラグはあれど)そのまま受け入れてきた日本市場の「独自化」が進むことになる。

ちなみにこの時期のアンダーグラウンドの動きとしては、日本では盛り上がらなかったものの、PARADISE LOSTが提示した「ゴシック・メタル」サウンドはその後欧州では絶大な影響力を持つことになった。また、極限の速さを求めたデス・メタルのアンチテーゼとして登場した「ドゥーム・メタル」も勢力を増し、「ストーナー・ロック」などと呼ばれる動きとも結びついて独自のシーンを形成。「ブラック・メタル」も、殺人事件などのスキャンダルを通じて知名度を上げ、欧州において確固たる地位を築いた。また、デス・メタルに叙情的なメロディを導入した「メロディック・デス」と呼ばれるサウンドを出すバンドが北欧を中心に活発に登場し、一大勢力を築くことになる。ヒットチャートなどと無縁のアンダーグラウンドでは、様々なムーヴメントが誕生していたのである。


◆参考作品

RAGE AGAINST THE MACHINE

RAGE AGAINST THE MACHINE
当時、「怒り」を最もラディカルな方法論で表現した彼らのデビュー作。

NINE INCH NAILS

DOWNWARD SPIRAL
トレント・レズナーによる退廃的で内向的、かつ先鋭的なインダストリアル・サウンド。

KORN

KORN
恐るべき憎悪と怨嗟に満ちた激重サウンド。

GREEN DAY

DOOKIE
新世代パンクの復権の狼煙となった大ヒット・アルバム。曲がいい。

SMASHING PUMPKINS

MELLON COLLIE AND THE INFINIT SADNESS
グランジからスタートした彼らが呈示した、当時最もメインストリームなロック・サウンド。

BON JOVI

CROSS ROAD
なんと日本で100万枚売った初の洋楽HR/HMアルバム。

YNGWIE MALMSTEEN

THE SEVENTH SIGN
この頃は「ビッグ・イン・ジャパン」の代表となっていたイングヴェイの90年代の代表作。


1997〜2000

この時期から、日本市場のみならず、ヨーロッパ市場においても英米とは異なる潮流が生まれることになる。アメリカでは従来のグランジ/オルタナティヴ・サウンドに代わり、ヒップ・ホップの要素を取り入れたヘヴィ・サウンドが「NU METAL」と呼ばれ、トレンドとなっていた。ヨーロッパでは、従来アメリカやイギリスの流行をダイレクトに反映した市場傾向を示していたのだが、そのまま英米のトレンドを基本的にはフォローしつつも、もうひとつの独自な動きが目立ち始めた。ゴシック・メタルやブラック・メタルといった、欧州独特のジャンルが急速に力を増し、さらにはHAMMERFALLのブレイクに端を発するオーセンティックなメロディック・パワー・メタルのムーヴメントが勃発、所謂古典的な意味でHR/HMらしいサウンドが勢力を盛り返してきたのである。

一方、それまで頑なに古典的なHR/HMに対するこだわりを示し続けてきた日本市場であるが、この時期からその傾向に変化が見られるようになる。HELLOWEENやイングヴェイ・マルムスティーンに代表される、かつて「日本人好み」とされたサウンドを持つアーティストのセールスが軒並み低下し、コンサートの規模も縮小されるようになっていった。

こうした傾向と反比例し、それまでアメリカ本国に比べ評価もセールスも芳しくなかった、先述の「NU METAL」をはじめとするアメリカのトレンド・バンドの人気が、相対的に高まるようになる。とはいえ、LIMP BIZKITのような一部のトップ・バンドを除けば、アメリカとの温度差は依然として存在していた。かといって、ヨーロッパで注目されているような新世代のメロディック・パワー・メタルやゴシック・メタルなどの人気が出たかというと、その「新しい動き」を、基本的に英米志向の強いBURRN!誌がほぼ黙殺したため、一部のコアなマニアに支持されるにとどまった。この時期、BURRN!誌の年間人気投票を見ると、SLAYERやDREAM THEATER、IRON MAIDENなど、全く新鮮味のない顔ぶればかりが幅を利かせている。それは即ち、従来の英米のアーティストを中心とした、古典的なHR/HMシーンの停滞感を表現するものであった。

では、日本の若者は何を聴いていたのか。フラストレーションの多い若者にとってハードで刺激的な音はいつでも需要があるはずである。

実はこの時期一番人気があったのは英米のトレンドを日本流に解釈した国内のバンドだった。むろんOFFSPRINGやBLINK182のような舶来のバンドも人気があったが、それよりもHi-STANDARDやSNAIL RUMP、BRAHMAN、MAD CAPSULE MARKETS、そしてやや毛色は違うものの、DRAGON ASHやTHEE MICHLLE GUN ELEPHANTのようなバンドが、刺激的なサウンドを求めるリスナーの受け皿として機能してしまったのである。

これは日本のバンドとシーンのレベルの向上を示すものであり、その点は日本人として喜ぶべきであるが、結果的に古典的なHR/HM的なサウンドは完全に「置き去り」にされる形になってしまった。それどころか、HR/HMを聴く人間は最もダサく、時代遅れな人種とみなされるという、まさに90年代初頭アメリカで起きた情況が数年遅れでここ日本でも発生してしまったのである。90年代、マイナーな存在に追いやられていたオーセンティックなHR/HMサウンドを日本に紹介し続けた、ゼロ・コーポレーションが1999年、閉鎖に追い込まれたという事実は、まさにそれを象徴する出来事であった。

そういう意味では、アメリカではアメリカの、ヨーロッパではヨーロッパの、日本では日本のバンドが人気を博すという、ある意味リスナーのドメスティック化が顕著になったのがこの時期といえる。それは、英米以外の地域の音楽シーンが成熟したことを示すものであった。


◆参考作品

LIMP BIZKIT

SIGNIFICANT OTHER
ヒップ・ホップとヘヴィ・サウンドをキャッチーな形で融合して大ヒット。

OFFSPRING

AMERICANA
パンク/メロコアの枠にとらわれないキャッチーなロック・サウンドで大ヒット。

PRODIGY

FAT OF THE LAND
テクノ初の全米ナンバーワン。音がハードだったので一部のメタルファンも飛びついた。

CREED

HUMAN CLAY
日本では全く無名だが、アメリカでは最も売れていた「ハード・ロック」バンドのひとつ。

GATHERING

NIGHTTIME BIRDS
ヨーロッパではゴシックがメインストリームへの進出に成功。特に女性Voの人気高し。

CRADLE OF FILTH

CRUELTY AND THE BEAST
ブラック・メタルもエンターテインメントとして欧州では商業的な成功を収めるように。

HAMMERFALL

GLORY TO THE BRAVE
オーセンティックなメタルが欧州で再び注目を集めるきっかけになった1枚。

Hi-STANDARD

MAKING THE ROAD
当時日本のストリート・キッズたちに一番支持されていたパンク・バンド。

DRAGON ASH

VIVA LA REVOLUTION
降谷健志は間違いなくこの時期日本の若者のファッション・リーダーだった。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT

GEARBLUES
ソリッドで焦燥感に満ちたカッコいいガレージ・ロック。

 

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